このサイトでお伝えしていることはあくまで著者の「私的解釈」です。

東洋医学に関わっている人はそれぞれポリシーを持っていることも理解しています。

ここで述べることが正解だと主張するものではなく、一つの考え方として受け取っていただければ幸いです。

 

 

私が鍼灸の世界に足を踏み入れ、知人の紹介で入会した研究会では「気」の調整を行うものでした。
 

気とはどういうものなのか?

世代的にも一番にイメージしてしまうのがコレです。


©集英社/鳥山明

 

気とは体の中にあるエネルギー。

それは感じる人には感じるし、見える人には見えるもの。

 

気を操り患者を治す

自分の気を自在に操り、患者の気の過不足や滞りを解消する。

しかし気を補う際には自分の気を送ってはいけない。

施術者の体をアンテナとして「宇宙の気」を集め、鍼を使って患者に送り込む。
 

これもイメージするのはコレです。


©集英社/鳥山明

 

しかし私には気を操るどころか、見ることも感じることもできません。

いつかわかるようになるのかもしれないし、それは努力ではどうにもならない特殊能力なのかもしれない。
 

何年か頑張ってみましたが、結局全く理解することができずに挫折しました。

 

何となく気のことがわかってきた?

もともとスピリチュアルなことはあまり理解できないタイプでした。

しかし鍼灸で食べていくためには気のことがわからなくてはならないと無理をしていました。

その結果挫折したわけですが、反動で東洋医学が嫌いになってしまいました。
 

それからは按摩マッサージを主として、筋肉を緩める治療をするようになりました。

しばらくして関節の調整も覚えました。

全身の構造が理解できて、多くの患者さんを治せるようになりました。
 

しかし気のことから離れ10年以上の臨床経験を経て、ここへきて何となく「気」のことがわかってきたように思います。

その「気」は先に紹介したようなイメージとは全く違うものでした。
 

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「気」とは、目には見えないけどそこに確かにあるもの

気とは目には見えないものです。見えなくていいのです。

見えないけど、そこに確かにあるものなのです。

例えば電波。目には見えませんが確かにありますよね。現代で電波の仕組みは分からなくても存在を否定する人はいないと思います。
 

鼻と口を塞げば苦しいです。そしてしばらくすると生命活動が停止します。

これは鼻か口から入ってくる「何か」なければ生命は維持できないということの証明です。

鼻や口から体内に取り入れる「何か」は、目には見えないけど確かにあるのです。

 

変換せずに素直にそのまま受け取る

空気を吸わなければ死ぬに決まっている。

その空気の成分は多くは窒素で、酸素と二酸化炭素も含まれていて、生命の維持に必要なものは特に酸素である。現代人なら当たり前のことです。
 

では鼻や口から取り入れる「清気(せいき)」は酸素なのか?
 

違います。

鼻や口から体内に取り入れる、目には見えないけど確かにそこにあるもの、です。
 

古典が書き記された当時をイメージしてみて下さい。
 

【関連記事】東洋医学を理解するための思考法
 

空気の成分分析などできません。動脈血と静脈血に含まれる酸素と二酸化炭素の量など調べることはできません。
 

しかし、ヒトの鼻と口を塞ぎ、目には見えない「何か」を体内に入れなければヒトは死んでしまうという厳然たる事実がそこにあるのです。

その「何か」が清気なのです。
 

食物も食べなければ便がでなくなり、一ヶ月もすると死んでしまいます。

食物に含まれる目には見えないけど生命を維持する「何か」が「水穀の悍気」です。

糖・アミノ酸・カリウム・カルシウムなどではありません。水穀の悍気です。

 

決してスピリチュアルなものではない

ヒトの体は、知れば知るほど良く出来ていると感じます。

存在自体が奇跡だとも思いますし、そう考えると神秘的でもあります。
 

ただ東洋医学は目の前にある現象を体系化した医学であり、魔法のようなものとは違います。

体系化した当時、目には見えないけど確かにそこにあるものを「気」と定義しただけであり、昔の人が「かめはめ波」を放てたわけではないのです。
 

「かめはめ波」は冗談ですが、決して超能力の類いではないということです。
 

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